2010-03-01

自我を見つめる

自我は仏教の用語ですが、何年も前からずっとこの自我について語ってくれる人がいます。
年に数回会えるかどうかの方ですが、私にとっては何でも話せる先生のような、父親のような存在。
今までいろんな事を相談して、いろんな事を気づかせてもらってきました。

何年も教えてもらっている自我について、結局私はまだその話の本質をほとんど理解できていません。
だけど、それが何なのかっていうことを、話の他にも仏教の本を自分なりに読んだりして、ここ数年なんとなく、「あ、こういうことかな?」って気づくようになりました。

人間が持っている欲とか嫉妬とか、感情的な考えとか。
自分のなかの、すごくいや〜などうしようもない部分。それが自我。

たぶんいろんな解釈があるのですが、自我のひとつとして私が読んだ本の中には、こうあります。

人と話をしている中で、相手が自分と違う意見だと気分が悪くなる。それが自我です。


相手はその人の意見を言っているだけだけど、自分の考えを否定されたような気がして、気分が悪くなってしまう。

こういうこと、私にはよく発生することでその度に反省しています。
そして毎回すごく反省するのに、また繰り返してしまう。
特に仕事をしているときは、発生率が異常に高い。
なんとかしたいと思いつつ、ちょっと気を抜くとすぐにこの自我が顔を出します。

誰にでもある「自我」。これを完全に封印することはすなわち「悟る」ってことでお釈迦様の域に入ってしまうので、それが無理なのはわかっているのですが、自我を見つめることで、少しでも人としての徳を高めていきたいです。

仏教って宗教というよりは、人生の指南書的な論理的な教えがたくさんあって、既に私たちが小さい頃に親や周りから教えてもらったような基本的な事です。
仏教徒でもなんでもない私ですが、こういう基本はいつも意識していきたいです。

周りに徳がある(と、私はとても感じる)人がたくさんいるので、いい意味で刺激を受けてます!