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2013-05-07

「創意工夫が、できない」

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母の親友が作ってくれた、がんばるゾウさん

「創意工夫」という言葉に、私はすごく敏感だ。

仕事でNAGOMI VISITの仕組みを考えるときも1通のメールを書くときも、「創意工夫」を常に意識するようにしている。これまでやってきた事務の仕事でも営業でも接客でも。大きな事から小さなことまで、いろんなところで自分なりの創意工夫を繰り返して来た。

なんでこんなに「創意工夫」にこだわるかというと、子供の頃の父とのやり取りがあるから。

小学生の頃。
通信簿には勉強の評価の他に、「生活に関する評価」っていうのがあって、父はそれをすごく重視した。勉強の評価で「大変良くできました」をたくさんもらっても、そこにはあまり大きな反応はなくて。逆に「生活に関する評価」に○がついていない項目に大きく反応した。

勉強の評価は「大変良くできました」「良くできました」「がんばりましょう」のどれかには必ず○が付くのに対し、「生活に関する評価」は各項目に○がつくかつかないか、どちらか。
「生き物を大切にできる」とか「整理整頓ができる」とかそういう項目の中に、「創意工夫ができる」という項目もあって。

父は、○が付かない項目を指して「生き物を大切に、できない」とか「創意工夫が、できない」と読み上げる。

勉強をそれなりにがんばるマジメな子供だった私は、その読み上げがいつもとても悔しかった。今考えても、担任の先生が「生活に関する評価」をどんな基準でしていたのかよくわからない。1クラス40人近くいる子供1人1人を細かく評価するなんて、どんなに難しいんだろう、って思う。

「生き物を大切にできない」と読み上げられた翌学期は、クラスの「いきものがかり」に手を挙げて、毎日教室の後ろにあるロッカー上の鉢植えに水やりをしたりクラスで飼っていたメダカか何かの水槽の世話をするアピール戦略が功を奏して、その学期の「生き物を大切にできる」の項目には無事に○をもらったりした。

でも結局、「創意工夫」には一度も○がつくことがなくて、その頃はどうすれば「創意工夫ができる」に○をもらえるのか検討もつかなかった。そして父は毎回「創意工夫が、できない」と読み上げ続けた。小学生なりに、創意工夫ってヤツは勉強で「大変良くできました」をもらうよりも難しいと思ったけど、それよりも私は、父がどうしてそんなに「生活に関する評価」を重視するのかさえよくわからなかった。

それから20年。
社会に出て数年が経った頃からようやく、父が勉強よりも「生活に関する評価」を重視した意味がわかるようになった。

仕事にも生活にも、創意工夫は本当に必要だ。当たり前だけど、「自分は創意工夫できてるか?」と常に自分に対して問い続けるのはいろんな面でプラスに働く

大人になった今の私には通信簿がないし、数年前からは会社にも属さなくなったので外側からの評価を受けられることはなくなった。
父は、私が社会に出る前に亡くなってしまったのだけど、もしも今の私を父がみたら、「創意工夫ができる」と言ってくれるだろうか?と考えてみる。

昔父から聞いた、父の仕事の話をおぼろげながらに思い出してみると、すごくいろんな創意工夫をしてたんだろうなと気づいて、それに比べたら今の私はきっと、「まだまだだ」って言われるんだろう。だからこれからもやっぱり創意工夫にこだわっていかなくっちゃ、と思う。